こちら静岡校、今日の1年生は国語の授業で俳句を学びました。

 

「芋の露連山影を正しうす」 飯田蛇笏

この俳句の季語は秋。

秋の涼しい朝、芋畑の中に立っています。

畑の向こうには山々が堂々と威儀を正して連なっています。

見の前のサトイモの葉の上には露が乗っています。

露の中に、そんな正しい姿勢をした偉大な山々の影、姿が写っています。

 

詩人の萩原朔太郎は言っています。

詩とは、非所有へのあこがれであり、感情の意味を持つものであり、主観の夢を呼び起こすものであると。

詩とは人生の価値一般であり、詩的精神の本質は実にヒューマニティ(人間性)であると。

それはつまり、善であり愛を求める心。真実と理想を求める心。そして美しいものを求める心でしょう。

 

飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」の俳句に戻りましょう。

葉の上の露は作者の心でしょうか。

その心の中には、自分にとって偉大で正しく理想としている存在が写っているのでしょうか。

その存在は遠い所にいる人なのでしょうか。

その存在は、人なのでしょうか、それとも何か違うものでしょうか。

純粋で無垢な露は、葉から零れ落ちそうな危うい場所にいるのでしょうか。

 

詩の解釈は無数にあるでしょう。

あなたはこの俳句から何を感じ、何を想像しますか?

未来を創る学舎で美しいものに触れて、感受性を高めていけたらいいですね。